骨折

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2006年に入ってすぐに風邪を引き、声が出なくなった。2週間程してやっと話せるようになったと思ったら、今度はインフルエンザにかかり、病院で世間からの3日間の隔離を申し渡される。噂のタミフルを生で初めて見た。かねてから計画していた北海道旅行に向け、滑り込みでインフルエンザを治したものの、そんなこんなで新年早々から仕事を休みがちだったので、北海道へはこそっと行ってこそっと戻るつもりだったのだが、午後には東京へ帰る、という最終日にスキー場の初心者コースで転び、左足首を骨折、スキー場の松葉杖を借りることとなった。翌日の出勤が松葉杖姿だと、これは「こそっと」という訳にはいかない。実は、とカミングアウトすると共に、しばらくお世話になります、との思いを込め、職場へのお土産は奮発してしゃけとししゃも。それにしてもなんて年の始まりですこと。ささやかな自慢は、骨折では1日も休まなかったこと。
しゃけとししゃもを配り終わったお昼休み、職場近くの病院へ。徒歩10分だが、松葉杖では辛いのでタクシーで向かう。即ギプスかと思っていたら、まずは簡易固定だった。腫れている間にギプスをしてしまうと、腫れが引いた後の空きスペースで足が動いてしまうから、とのこと。しばらくしてからギプス、最終的には、春に友人の結婚式をお祝いしにハワイに行くので、それまでの回復を目標とすることになった。
また、お酒を飲んで良いかと聞くと、血流が良くなって痛みが増すからやめなさい、と言われたが、数日後、どきどきしつつビールと焼酎を試し飲みしてみたら全く問題がなく、以来自分の中で解禁。だが、書いている今思い出した。東京への飛行機までの待ち時間、千歳空港で車椅子を借り、入ったラーメン屋さんで地ビールをいっぱい飲んでいた。そういえば。
病院の先生は、一緒に飲んだら面白そうな味のある人なのだが、どうも会話が成り立ちにくい。初診から1週間後、「今朝4時ごろ、急にここが痛くなって目が覚めたが、大丈夫だろうか」といった相談をしてみても、「ここ」と言っている時にそこを見ていない。見るまでここ、ここ、と言い続けていたら、ひひひと笑いながら、「こういうやんちゃな子はもうギプスで固定してしまおう」。先生にとっては問題ないのだろうけれど、骨折デビューのこちらからしたら、問題なのかどうかが分からないのは不安なのに。
という訳で、ギプスで固定。膝の上まで固定したら、これが動きにくいこと極まりない。シャワーの時は、大きなごみ袋で左足全体をくるみ、更にサランラップでごみ袋と腿の境界線を巻き、テープで止める。バスタブの淵に腰掛け、不安定にシャワーを浴びる。
それから、トイレ。膝が固定されていて曲がらないので、洋式でないと無理。それも、足を延ばしたまま座るので、狭い個室だとドアが閉められない。まあそれでも洋式ならば良い。昔の日本人が骨折した時にはどうしていたのだろう、片足コサックダンスか?と思っていたら、ある日、病院から職場に戻るタクシーの中で、運転手さんが教えてくれた。彼は何十年も前に骨折した折、
・ 自宅トイレには、上にかぶせるだけの簡易洋式トイレを設置
・ 外出時は新聞紙を持ち歩き、トイレの本来前になる部分(ちょっと高さがある所)にそれを敷き、その上に後ろ向きに座る
で対応したそうだ。なるほど。
ちなみに今年のお花見宴は、場所決めにあたり、事前に候補地に電話で洋式トイレの有無を確認してから決定した。
 外を歩く時に、ギプスの足の裏部分が地面に触れるのを避けるため、大きな専用靴を病院で貸してくれたのだが、重たいし蒸れるし、で、代わりにスーパーのビニール袋を履き、と言うか結び付け、鋏で先端に空気穴を開けた。そんな格好をして松葉杖でよろよろと歩いていると、世間の皆さまが本当に優しい。重たい手動ドアを開け損ない、体半分挟まって固まっていると、何人も飛んできてくれる。切手を貼った封筒を手にエレベーターを降りて道路に立ち、さぁ、そこのポストまで歩くぞ、と心の準備をしていると、「お入れしますよ」と、手を差し伸べてくれる。ご自身の骨折体験を語り、頑張ってください、と応援して下さる見知らぬ方々が何名いたことか。人間ってやっぱり優しいね。今回の骨折の収穫の一つ。
 職場では、最初は松葉杖で歩いていたのだが、オフィスチェアに座ったまま、元気な右足で地面を蹴って移動してみると、これがとても楽なので、以来ずっと車椅子代わりとなった。自分でお茶も運べるし、自席から最も長距離の移動(=トイレ)も、オフィスと廊下は車椅子、トイレ前から右足けんけん、で済む。特に、カーペット敷のオフィスよりも、毎日ぴかぴかにワックスのかけられている廊下は、一蹴りで数メートル。オフィスチェアのCMに出られそう。でも、画面隅に、「良識のある皆さんは真似をしないでね!」と出そう。
そんな便利な移動手段のため、歩行は一向に上達しなかったものの、パーティの松葉杖幹事やら大阪のジャズフェスへの松葉杖ピアニスト乗り込みやらをこなしている内に数週間が過ぎ、いよいよギプス切断の日となった。皆がメッセージやイラストを描いてくれたギプスに名残を惜しむ間もなく、ブーン、と動き出した電気のこぎりにやや怯えていると、先生が、大丈夫、ほら、と、のこぎりの歯を彼自身の手のひらに触れさせた!円盤系ののこぎりは、回転せず、左右の微動を続けているそうだ。私も触らせてもらったが、全然痛くなかった。こうなるともう安心。切断中に、写真撮っていいですかー、と、携帯で撮影をしたりしている内に、無事足がご開帳となった。
骨折後初のノー松葉杖出勤日、同僚たちと「クララが立った!」ごっこで盛り上がっていると、通りかかった隣の島の次長が、「おー、猿人類の進化を見たよ」と言って去って行った。
私の少し前に、同じような場所を骨折して1ヶ月休んだ次長もいた。私の復活ぶりを見て、「やっぱり若いよねー」と言ってくれるのだが、ここでの「若い」には要注意。うちは非常に職員の年齢層が高い。この私で若い方から3番目。女性とおじさんとおじいさん、と言う職場なのだ。ここでの若い若くないの基準に慣れていると、世間の基準と大きくずれる。
リハビリは、主に電気と手技(マッサージ)。リハビリを始めて分かったのだが、私は普通の人より痛がりだそうだ。手技が余りにも痛く、「痛っ」「きゃっ」と飛び上がっていると、先生が首をかしげ、こちらだとどうですか?と、右足に同じことを試してくれるのだが、それも痛い。「精神的には忍耐強い方だと思うのですけれど…」と言うと、「体はかなり痛がりですね」と言われた。知らなかった。でも先生、手技中に私が痛みをこらえてぎゅーっと目を瞑っていて、終わったときにふーっ、と目を開けると、にかーっとこっちを見ている。サドか?
歩いているだけでリハビリになるが、意識的に足首を内側に向ける様にすると、ふくらはぎ外側の筋肉が強くなって更に良いらしい。それを聞き、「あ、じゃあX脚で歩けばいいんですね」と言ったら、「違います」と返された。
随分回復してから行ったハワイでは、街を歩きまくり、フィンを付けて泳ぎまくり。足首は元気だった。また、海に入った後の方が調子が良かった様に思う。海は偉大だ。
固定しておけば治る人体の神秘に感動し、人の優しさに改めて感動し、貴重な体験となった骨折だった。次シーズンのスキー?行きます行きます。

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