ジュネーブ便りその三

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L’AMRでのセッションデイが終わってしまってから、他にピアノの弾けそうな所がないか何となく探していた。ある日、駅前のイタリア料理屋さんでのディナーの後、ホテルに戻る途中、かすかにピアノの音が聞こえてきた。周りを見渡すと、ガラス張りの小さなピアノバーでおじさんがピアノを弾いている。その時は他の方々と一緒だったので、ホテルに一度戻ってから引き返す。
スコッチを頼んでから、葉巻を吸ってお酒を飲みながらお客さんとカードゲームをしているマスターらしき人に、弾いても良いか聞いてみるが、英語が通じないようである。すると、クラリネットを持ったお兄ちゃんが、ピアノ弾きたいの?と話し掛けてきた。うん、とうなずくと、いい所知っているよ、このすぐ近くだと言う。もしかしてL’AMR?と聞くと、そうだと言うので、そこはもうセッションはやっていないはずだ、と伝えるが、大丈夫大丈夫行こう行こう、とのことなので、まあ近くだし、と一緒に行ってみる。
やっぱりやっていなかった。彼が何故そこまで確信を持っていたのか分からないが、彼もあまり英語を話さないので、意思の疎通が出来ていなかったのかもしれない。
では、ということでさっきのお店に戻ろうとすると、その道向かいのカルチャーセンターのような雰囲気のスペースでセッションが始まっている。2人で覗いてみると、バイオリン、サックス、エレキギター、ベース、ドラム、と言ったメンバーが、なんと言うジャンルだろう、面白いものをやっている。
とりあえず入って聴いていると、皆が楽器やるの?なら入りなよ、と勧めてくれる。知らない曲なのでしばらく聴いてコードを取ってから参加。なんだか民族音楽のようだ。こういうのもありなのね。演奏者10人程度、リスナー数名、踊り子(?)数名。楽しい空間だ。
そんな感じでずっと続けて、のどが渇いたのでビールが欲しいと言うと、先ほどからバイオリンを弾いているおば様が生を注いでくれる。おいくらですか、と聞いても、いいのいいの、と。更に楽しい空間だ。
0時が終了時刻だった。毎週木曜日の定例行事だそうなので、来週も来ることを約束。
お客さんの一人のおじ様が、先ほどの道向かいのお店のマスターの知り合いらしく、今から紹介してくれると言う。彼フランス語しか話さないからさ、僕が通訳で行くよ、と。
そのお客さん(Bernard。フランス人のTattoo師)と、クラ(Olivier。フランス人の会社員)とでピアノバーに行き、Bernardがクラとピアノでセッションしたい旨伝えると、マスターがOKしてくれた。
最初はやはりスタンダード。Olivier、上手!話しているとおだやかなのに、クラを咥えると人が変わる。彼も速い曲が好きなようだ。しばらくすると、私のピアノがトラッドだと感じたようで、じゃあこれをやろう、次はこれ、と繰り出してくるメロディーは、私が学生時代にやった懐かしい曲ばかり。びっくりして、日本ではこういう音楽をする人は少ないことを説明すると、悲しいね、こちらでは結構愛好者がいるよ、と教えてくれる。
途中、Olivierが、あ、友達が来たから紹介するよ、と言ってくれる。その人たちの座っているテーブルを見ると、L’AMRにいたボントロ吹きだ。久しぶりですね、と挨拶し、今度は同じテーブルでこちらに背を向けて座っている人を見ると…。あーっ!!あのラッパ吹きが!あああ。向こうは何事もなかったような顔をしているので(当然だ)、こちらも普通に挨拶する。
動揺を隠し、演奏に戻る。しばらくすると彼らは帰った。安心。
1時過ぎ。今日は何時間弾いていただろう。さすがに私も帰ることにする。Olivier、Bernardが、また演奏する時には是非連絡をしあおう、と、メールアドレスを教えてくれる。私もアドレスを渡す。
翌朝、左手の親指と小指に水ぶくれが出来ていた。
なんだかんだぱたぱたしていて、メールのやり取りをしつつも、しばらく演奏の機会がなかったが、翌週の木曜日になって、その日の夜、例のカルチャーセンター(?)で集まろうということになった。
(おまけ。Bernardから来た最初のメールが少し面白かったので、コピーする。気難しそうなマスターのお店だから、気を使ってくれたのだろう↓
i think you can go to the same bar to play, for a couple of hours daily
but, not from morning to night
and to be easily accepted, please :
– don’t brake down immediately the piano ;-)))
– and start it softly,
– as you have see the barman drink and play card so …
– not too much early morning ;-)))
and for the fun : i imagine for you a 100% stainless steel piano !!!)
ところが、行ってみると閉まっている。向かいのピアノバーから、待っていたらしいOlivierが出てきて、ドアに貼ってある紙の文章を訳してくれた。「ミュージシャンへ。これからしばらくここの木曜日のイベントはお休みです。9月にお会いしましょう。」それでは仕方がない。
ピアノバーへ行き、赤ワインをオーダーし、2人でセッションを始める。Bernardも途中で来る(向かいが閉まっていたからここだとすぐわかったのだろう)。ノンストップで演奏を続ける。ワインの小さいグラスが空くと、次のグラスがピアノの上に差し出される。ある時、演奏途中にグラスが上から落ちてきたのにはびっくりした。勢い良すぎたか。きれいに拭いて再開。何杯目かのグラスが空くと、今度はカラフェで出てきた。
ガラス越しなので、通りすがりの人たちが立ち止まって笑いかけてくれたりするのがとても嬉しい。余計やる気も出て続けていると、突然マスターが、”Stop! Stop!”と叫んだ。どうしたのかと思うと、ポリスが店の外に立っている。気付いたら0時過ぎ。うーん、1時過ぎまで弾けた前回がついていたのね。
私の滞在期間が残り2週間を切っていることもあり、次に皆で会える日を予め決めることにする。翌々日に某所で開かれるパーティでセッションに参加しないかと、面白いお話があったが、その日はユングフラウヨッホに行く予定だ。次に会うのは次週の月曜日となった。
その月曜日の約束の時間。気難しそうなマスターも、もう顔なじみでにこにこ。Bernardがパソコンを持っている。どうしたの、と言うと、ピアノの上のマイクを指差した。録音して、記念にCD-ROMに焼いてくれるそうだ。ありがとう。OlivierもMDウォークマンを持ってきていた。
例のボントロ吹きもいたので、彼もプレイするの?とOlivierに聞くと、いや、彼はこの間試験に合格してプロになったので(どんな試験かと聞いても、うーん、プロになる試験、としか説明がなかった)、そう簡単には演奏してくれないんだ、とのこと。そうだったのか(そう言えば以前旧市街を歩いていた時、遠くから、カーステレオにしてはリアルな音が近づいてきて、何かと思ったら、大音量で演奏中のミュージシャン満載の2両編成バスが走ってきて、その中に彼もいた)。
その日のセッションもとても楽しかった。こちらで知り合った日本人会合出席者も何人か聴きに来てくれた。
ところで、「猫ふんじゃった」の国籍は日本かな、などと思っていたが、そうではないらしい。セッション開始前、Bernardのパソコンから、ピアノの音でそのメロディーが流れてきたので、どうしたの?と聞くと、さっき録音テストのために弾いてみたんだ、と。お遊びでそれをジャズっぽく弾いてみたら、お客さん皆が笑っていた。この国でも、誰でも弾ける定番曲のようなものらしい。
ちょっと日付を戻し、上のピアノバーに最初に行った日の翌日、金曜日夜は、旧市街の広いエリアで行われるミュージックフェスティバルに行った。メインとなるバスティヨン公園では、相変わらず入口近くの巨大チェスボードで皆がプレイしている。
もう、完全なお祭りだ。いろいろな国や団体の出している屋台に心が浮き立つ。ディナーを食べてきたことを後悔。明後日の日曜日まで開催しているので、週末の旅行から帰って元気があったら、ワインのボトルと共にまた来ようと決める。
レゲエやロックなど、色々なジャンルのバンドが演奏する中、プログラムでジャズのステージを2つ見つけ、そこをはしごすることにする。ベイシーコピーバンド、モンクコピーバンド、なかなか楽しい。
22時過ぎに暗くなってくると、俄然雰囲気が変わってくる。夜の公園、屋台が灯りをともす中、人々のさんざめく声。いいなあ。
ところで、こういう場所や普通の街中、どこでも車椅子の人たちを良く見かけ、皆風景になじんでいる。ちょっと注意をしてみると、確かにバリアフリーに気を使った街づくりがされているようだ。
以前営業職についていた頃、かばんの重さに根をあげ、出先で見つけた金物屋さんのがらがら(で通じたのでずっとそう言っていたが、名称は何と言うのだろう、スーツケースなどを運ぶ車輪付の金属)を買い、それにかばんを乗せて会社に戻り、皆に大笑いされたことがあった。便利だったのでその後も使い続けたが、それを持ってみて初めて、しょっちゅう出くわす段差に気付き、ベビーカーを押す人たちや、車椅子で動く人たちは、この環境ではちょっとお出かけ、と言う気分は萎えるだろうな、と強く感じた。がらがらを使わなくなった今もその思いは変わらない。
ホテルに戻る途中、ちょうどモンブラン橋を渡ろうとする時、どっかーん、と花火の音がし始めた。なんと!その日は花火大会だったのだ。ラッキー、と、カップルだらけの芝生の上に座り、鑑賞する。レマン湖の大噴水がブルーにライトアップされ、その背後に大きな花火。たーまーやー。
さて、その週の土日は、ミラノに行った。私の出張直前に父(とそれに同行して母も)がミラノに出張していて、いいな、と思っていたのだ。
余談だが、出国前に実家に遊びに行った時、出張用に持っていったが食べなかったというカップラーメンを、ジュネーブ用にどう?と、お土産と一緒に持たせてくれた。貴重な食糧なので大切にしているせいもあるが、意外と消費が遅い。朝はビュッフェでたくさんいただくし、お昼はそれほどお腹がすかないのでにんじんをかじる程度、夜はお酒を飲むのでおつまみ系が多いのだ。
せっかくの陸続きの国境越えを楽しみたく、電車で行くことにした。4時間足らずだ。スイス・フレキシーパスという、任意の数日間電車などに乗り放題というものがあり、翌週のユングフラウヨッホ行きに備え、4日間分購入。
着いて最初の印象は、イタリア語は全然知らないが、もう何週間も滞在しているジュネーブよりも、街の文字になじみやすいと言うことだ。それだけイタリア語(食べ物の名前とか)が日本に浸透しているということか。それから、物価が安い。レストランで物を食べてビールを飲んで1,000円しないなんて久しぶりだ。ジュネーブが高過ぎ。
まずは地下鉄で2日間乗り放題のチケットを買い、S.BABILAへ向かう。MONTE-NAPOLEONEというブランド通りがあるよ、と聞いていたのだ(買わないけれど)。確かに私にもわかる名前のお店がずらっと並んでいる。どれも重厚な建物。アウトレットショップにも入ってみると、MAX MARAのパンプスが5,000円位で売っていたりする。
その通りを抜けると、DUOMOだ。今工事中。スカラ座も工事中。そんな機会はそうそうないだろう、と工事中の両建築物を写真に撮る。どんなに足場で囲まれていても、DUOMOは壮麗だ。
警戒しているわよ、というのをアピールしながら歩いているつもりだが、鳩のえさをつかまされそうになる。これを撒いたらいくら取られるのだろう。
嬉しいことに、ここでもミュージカルフェスティバルが開催中だ。今ヨーロッパはいい時期。皆の気分が華やぐ頃なのだろう。街角で色々なバンドが演奏している。プログラムをもらい、あちこち聴きに行く。ジプシーバンドが上手。
その夜はもちろんイタリアンレストランへ。仔牛のツナソースとタリアテッレと仔牛のローストを食べる。
翌日はホテルのレセプションに見どころを聞き、勧められた所に行ってみる。出来ればレンタル自転車を借りたいのだが、ミラノ近辺ではそういうのはあまりないらしい。
まず、PORTA VENEZIA。きれいな公園だ。お散歩中の犬がいっぱい。一匹、座ったまま、しっぽを地面から地面へ180度、ぴたぴたひっきりなしに振りつづけているのがいる。あまりにもかわいいので近くのベンチに座って眺めていると、飼い主がやってきた。旅行中なんだ、どこ行くの?と聞くので、ホテルで教えてもらった他にお勧めでもあるかな、と、マークを付けてもらったマップを見せると、もう行くべき所は全部知っているね、と。年齢を聞かれ答えると、じゃあ何年生まれか、僕と同じだ、と言って笑う。しばらく話をするが、まあそこはイタリア男性、話があっちの方へあっちの方へ行きがちなのはさすが。
お別れし、次はCASTELLO SFORZESCOへ。城内で色々な展示をしている。その中の一つは、部屋中に何か文書やポスターが貼られていて、何気なく見ていると、バンケットだディナーだクッチーナだと、魅力的な言葉が散りばめられている。過去の宴会メニューの展示だった。これはそそられる。雉のパイ、生ハム盛り合わせ、山羊のチーズのサラダ、うーん、おいしそう。それがミュシャの絵などをバックに書かれているのだから贅沢なものだ。
なんと、別所ではカトラリーの展示もあった。自分好みの展示が、常設ではないのに同時開催とは、良いタイミングに来た。銀や陶器の、凝った作りのカトラリーが並んでいた。
城内の展示部屋から展示部屋へ移動する間、門の前に座るギタリストがずっと、愛の夢のサビなしを繰り返していた。門を出る時、やっと違う曲になった。でもF minorのサビなし禁じられた遊びは初めて聴いた。
次はPORTA GENOVA、運河だ。駅を降りた所で地図を眺めていると、女の人にイタリア語らしいので話し掛けられた。日本がどうのこうのと言っているようだ。顔の作りはオリエンタルなのだが、今口から出た言語と、どうにも日本人離れした感じが、彼女の手には日本語のガイドブックが握られているにもかかわらず、とっさに何語で答えれば良いのかわからなくさせた。混乱したまま英語で、日本人です、と言ってみると、彼女は、ああ、やっぱりそうなのね、私も日本人なの、と日本語で答えた。運河へ行くの?ならご一緒しましょ、と言うことで、歩き始める。
こちらが名乗ると、彼女が、私はハナコ・ヤマダ(仮名)です、と(日本語で)言った。やはり話し方から何から、日本人離れしている。でも、普通に日本の企業で経理として働いていて、語学学校で週1回イタリア語を習っていて、今2ヶ月のお休みを取ってイタリアに来ているとの事。不思議な、でも素敵な女性だ。
どうしてここに来ているのか聞かれ、こうこうこういう仕事でしばらくジュネーブに来ていて、週末の旅行でミラノに来たと答えると、まあうらやましい、英語がぺらぺらなのね、と言うので、いえ、会合でやっている内容なんて全然わからないし、と伝える。すると不思議そうに、ではその仕事には何が必要とされるの?(本当にこの語順だった)と聞かれたので、うーん、業者さんとけんか出来るくらいの英語でしょうか、と言うと、面白がる。
運河はとても雰囲気があった。ゆっくりしようかとも思ったが、ここからのんびり歩いて駅に戻れば、ジュネーブに戻るのにちょうどいい電車がある。この後街を色々見て歩くと言う彼女と別れ、運河沿いのいい感じに鄙びた道を歩いて帰る。
電車の中では、備え付けのテーブル上に手を組み、あごを乗せたり頬を乗せたりしてずっと外の景色を眺めていたが、途中で突然、ある味のイメージが浮かんできた。しばらく考え、それが満来のチャーシュー麺のチャーシューだとわかった。多分昨夜の、巨大な仔牛のローストの形状から繋がったのだと思う。普段だったらいてもたってもいられなくなり、出来るだけ近い食事をそれにしようと思うものだが、あまりにも現実離れした願望は受け付けないように頭が出来ているのか、あっさりそのイメージは消えた。
いつものことだが、突然味のイメージが浮かぶ時は、最初から具体的にどこの何としてではなく、本当に味そのものが浮かんで来、考えてみてそれが何だと判明するのだが、たまに、「お蕎麦の実をおわんに入れて、熱いお出しをはったらこんな感じだと思うけれど、絶対そんなややこしい物じゃないはず」という風に、分からずに悶々とすることがある。意外な所では、プールの水の味だったりすることもある。
ジュネーブ近くになって、通路向かいに座る老夫婦とお話をする。ロンドン在住、地中海の旅を終え、これから国連関連の仕事をする弁護士の友人を訪ね、更にどこかへ旅するとの事。悠々自適。
ジュネーブに着いてまだ時間も気力もあったので、駅のスーパーでワインを買い、バスティヨン公園のミュージックフェスティバルに向かう。
まずはチリの屋台で、何かの煮込みかけライスを買う。ジャズのステージ前に腰を据え、お食事と音楽を楽しむ。そのお皿が終わると今度は別の屋台で、先ほどとても美味しそうに見えたので狙っていた鶏腿のローストを買う。ああ、帰国後はしばらく友人に会うのを避けられれば良いが、そうもいかない。まあ旅の間くらいいいか。
いくつ目かのステージ上に、Olivierと例のボントロ吹きを発見。そう言えばOlivierが、週末に出演すると言っていたのを思い出す。2人に手を振ってあいさつ。
ホテルに帰る途中、駅前で ”Pianist!” と呼びかけられる。振り向くと、楽器は忘れたが、L’AMRで会ったお兄ちゃんが自転車にまたがっている。彼いわく、1フラン持っていないか、実はお小遣い稼ぎをしようと思っていて、近くにビールを安く買える所があるので、そこで2つ買ってからその辺の人に売ろうと思うのだけれど、お金がないんだ、と。ずいぶん地道なお小遣い稼ぎだ。いずれにせよ、そういうのにはお金を出したくないので、残念だけれど今ないの、と断って別れる。そのビールの安い所だけでも知りたかったが、断って聞くだけ聞くのもちょっと…。

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